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やっとアイツが登場です

第4章のプロローグです。


CHILDREN OF GROUND

第4章 千年の森
 
 :
 
 
 
 深い水の底に漂う。手足は重力から解放されて、心地よい。
 
 清水は冷えていたが、凍てつくほどではない。水から押し返される自分の熱が、全身を包んで、誰かに抱かれているようなぬくもりさえ覚える。
 
 水の流れと、気泡の音。そして鼓動。安らぎを覚える静けさ。

 哀しいことは、すべて忘れてしまえるほど……

(哀しいこと?)

 なんだったかな。

 目を開ける。

 深い、深い、水の中。どちらが下で、上かも分からない。だが、遠く光が、自分の足元から差している。その光に照らし出された、大樹の根が、まるで森の枝葉のように湖全体に広がっている。

 その根で作られた籠の中で、手を合わせ、祈る女性の姿があった。

 眼を閉じたその顔は、穏やかな眠りについているように安らかだ。美しい人だ。大樹の根のように長く伸びた金の髪。その下から覗く、自分と同じ、長い耳。レイーグだろうか。

(…… あんたも、何か、なくしたの?)
 
 だから、ここに居るの?

 哀しいから、ひとりで来たの?

 あんたも、寂しいの?

 ああ、ちがう。そうか。このひとは。この御方は。

(レーナ=イクス・マナン)
 
 物語の中だけだと思っていた。

 本当にいたんだ。

 本当にレイーグのために、聖樹に姿を変えて、祈り続けていたんだ。

 こんなところで、たったひとりで。もういない、レイーグのために。

 そう思うと、彼女の顔は、安らいでいるようだが、寂しそうに思えてきた。

 水の底だ。声にはならない。ただ見つめていると、祈り続けていた女神が目を開けた。

 彼女は、光輝くエメラルドの大きな眼をしていた。

 そして小首を傾げて、優しく微笑んだ。

 幸せそうに見えた。

「―― !? 」

 次の瞬間、唐突に息苦しさを覚えて、空気を求めてもがいた。

 視界が気泡で一杯になる。世界が2度、3度と回転するような違和感。無我夢中で伸ばした手がやっと水面を付きぬけ、上体が湖面に浮かぶ。

「ぶはっ」

 大きく息を吸い、同時に水も飲み込み、焼けるような肺の痛みと共に盛大に咳き込む。
 
 気づけば、四つんばいになってぜぇぜぇと息をついていた。

 浅瀬だ。さっきまで自分がいたような、深みはない。自力で此処まで泳いできたのだろうか。いや、そもそも広い湖とはいえ、あれだけ深い場所があったろうか。

(…… 夢だったのかなぁ)

 呼吸も落ち着き、その場に呆然と座りこむ。見上げた周囲は、やっぱり森だった。少し、雰囲気が違う気もしたけれど、眼前の湖に浮かぶ巨大な木は、紛れもない《聖樹》だ。

 どれくらい水の底にいたのか。少し伸びた金の髪が、べたべたと顔に纏わり付くのを払いながら、自分の体をまじまじと見つめる。褐色の肌。特にどうとうはない、見慣れた自分の手。足。服。

(…… 何をしてたんだっけ? おれ)

 水底より前のことがうまく思い出せない。

 そのとき、突然大きな影に覆われた。

 肩越しに振り返ると、そこに鎮座していたのは龍だった。

 だが、自分の知っている龍とは少し違う。姿はよく似ているが、鱗が、水晶のように青く澄んでいる。

『目覚めたのですね』

 不思議な声音が、耳を打つ。深みのある、優しい響きだった。

「龍、なのか?」

 問い返すと、蒼い龍は翼を僅かに揺らした。

『龍の眷属、その三位に座す者。わが名はフェルベナス』
「フェルベナス」

 繰り返す。向き直って、正面に座りなおす。見れば見るほど、龍というのは大きな生き物だ。それよりも大きな聖樹が、湖全体を覆い、龍と彼の頭上に木漏れ日をこぼしている。

『沃龍、ともいう』
「ふうん。フェルベナスのほうがいい名前だなぁ」

 龍が金の眼を細めたように見えた。笑ったのかもしれない。

『ラーガ=ルルガ・レイーグ。聖樹の守り手』
「うん。ラーガはおれだよ」
『あなたは、セシル=ピラウスを覚えていますね?』

 胸の奥が、チクリと痛んだ。

 その名前に、ぼんやりしていた記憶が鮮明になる。そうだ、彼女は、もう――

 ラーガは項垂れた。

「でも、セシルは、いなくなっちゃった……」
『戻ってきます』

 フェルベナスの言葉に、息を飲む。跳ね起きると、水を蹴りたてながら、巨大な龍に詰め寄る。

「ほんと? ほんとに?」
『ええ。少し姿を変えて。今一度、此処に現れるでしょう』
「ほんとう? よかった…… なんだ! もう会えないかと思った!」

 ほっと胸を撫で下ろす。いなくなってしまったわけじゃなかったのだ。そのうえ、彼女が帰ってくる!

「ね、ね、いつ会える? セシルはいつ来るの?」
『その前に、小さき獣よ、心して聴くがよい』
「え?」

 蒼い龍の金色の目が、湖面の光を受けてチラリと輝いた。

 それは、思わぬ話だった。彼女と過ごした、不可解だったけれど、穏やかで、静かな時間の裏側にあったことの話で ―― 知らぬうちに、千年も昔のことになってしまったことの話だった。







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で、たぶんまたしばらく更新できません。すみません…

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